貝塚

supermany誤字

リトルグリーンメンのグミ

税込102円くらいだったと思う。AENAで大量に積み上げられたリトルグリーンメンのグミ(リトルグリーンメンのフィギュアを再現した、グミのお菓子)を見て、すこし悩んだ挙句レジに持って行った。

 

この手のビジュアルで訴求するグミは、地球グミを筆頭に、一時期話題になった(よね?)。そして一瞬で鎮火した。

リトルグリーンメンのグミが大量の売れ残りとして捌かれていたのは、単にリリースの旬を逃してしまったからだろう、と思っていた。

でも、どこに行っても地球グミを見かけたあのころ、同じ売り場にもしリトルグリーンメンのグミがおいてあったら……どうだろう。

ふと目に入って、ふーんおもしろいね、とちょっと視線が持っていかれるかもしれない。でも値段を見て、それが税込250円だったとしたら、いや180円だったとしても、多分買わない。残念ながら商品単体にそこまでの価値を感じられないから。

私が「金を払ってもいい」という気分になったのも、それがたまたま100円前後の値段だったからに過ぎない。100円でほんの少しのおもしろさが手に入るならいいじゃないか。150円は出せないけど、100円なら出してやってもいい。

リトルグリーンメンのグミは、売れ残って価格が下がったことで価値が上がり、ようやく需要にめぐまれたのだった。AENAのようなディスカウントショップにおいては特に、需要の権力がモノを言うから、たかがいち消費者のくせにえらそうに語りたくなる。

 

私の作るコピーもだいたいこんな感じだろう。

 

コピーは、グミの価格や味、食感、原材料そのものを変えることはできない。そのグミによってどんな楽しい体験ができるのか、地球グミとはなにが違うのか、どんな人ならとくに楽しめるのか、それを嘘のない範囲で広告しなければならない。

でも今の私が生み出すコピーには、広告する力がまるでない。いちど手に取ったとしても、「でもこの値段じゃあね」と陳列棚に戻されるのが関の山だ。売れ残りのグミというのはそのまんま、私にコピーを与えられた求人である。

人目を惹けなかった、あるいは世に出してすらもらえなかった言葉たちを思うと、悲しくなってきた。

 

いま、リトルグリーンメンのグミにブランドコピーをつけるとしたら?

実際口に入れたときの味や食感については、あんまり覚えていない。でもグミを友人に渡して、そこから数分間の雑談が始まったことは覚えている。

普段私から話しかけることはほとんどないけれど、知り合って半年の間に、とても話しやすくて居心地のよい相手だと理解するようになった、そういう友人だ。彼女はピクサー作品が好きで、おすそ分けすると案の定喜んでくれた。

 

思えばこのグミを店頭で見かけたときも、彼女の顔が浮かんだものだ。そして手に取った時点で、私は彼女にこのグミを渡す気満々だった。

このグミは私に、友人とほんの少しの距離を縮める一歩を提供してくれたわけである。

すなわちリトルグリーンメンのグミには、小さいけれど踏み出しやすい、コミュニケーションのきっかけを作るという価値があったのだ。

 

ではターゲットはどうなるか。「〈ディズニー作品にそれなりに興味があるあの子〉に近づきたい人」が適当なはず。

〈あの子〉の興味の対象が、ディズニーではなくポケモンやサンリオだったら、ちょっとターゲットが狭すぎるかもしれない。しかしディズニーに限っては、そのブランド力が強く広すぎるので、ここまで絞っても〈あの子〉のキャラクタライズは案外いくつも浮かぶものである。

このターゲットに伝えたいことは、「話題づくりができるグミ」だということ。コンセプトは「ねえねえ、のつぎはグミ」とかだろうか。

これに沿って、30字以内でコピーをいくつか考えた。

 

なれそめは、エイリアンのグミでした。
会話のキッカケ、9個入り
あの子にあげたい。

 

商品パッケージとトンマナが合わない気もするが、そこは画の作り方次第でどうとでもなる気がする(そのためにビジュアルメディアによる訴求があるのだし)。

たとえば真っ白なバックにパッケージとグミだけを並べて、白いライトで明るく照らしてあげて、シンプルなスチル写真を撮影したら、上記のコピーが馴染むポスターに仕上がりそうじゃないか。

あるいはふたりの手と手がグミを受け渡すシーンを、真横や真上から撮影してもいい。

 

やっぱりこういう、お菓子とか身近な商品のコピーを考えると、楽しいし悔しい。本音では近所で見聞きするモノのブランドコピーを手掛けたい。でも同時に、社会人になって最初に携わった仕事が求人広告の作成でよかった、とも思う。

求人広告原稿というのは一般的に、セールスコピーのイメージが強いから、がんばってブランドコピーを考えてもそもそも営業側から却下され、世に出ないことがままある(それもサイレントで)。

さらに原稿作成専門部署であるわれわれにまわってくるのは、待遇が良くなかったり仕事が全く世に知られていなかったり誰もやりたがらないような内容だったり……という、それこそ「売れ残り」の仕事なのだ。

だからこそ考え甲斐はあるが、やっぱり「嫌われていない商品」のコピーを書きたいな、と思うことは多い。

 

とはいえ文字数制限やユーザビリティをふまえるといった、厳しい条件で広告設計の練習を積んだら、それこそ人気の出そうな商品を手掛けたときには、迷いなくいくつものコピーを提案できるだろうと思う。

早くそういう存在になりたいし、やっぱり言葉を売って生きていきたい。これだから仕事が楽しいんだろう。

YSL展

もう数ヶ月経つが、YSL展に行った話。

結論からいうと、だいぶ期待しすぎた。

 

会期初日のオープン前に凸ったのは初めて。9:47にスタンバイ列に到着。すでに30人弱が並んでいたが、9:58にはチケット提示して中に入れた。

 

ディオール展が壮大すぎたのかもしれないが、ゆっくりじっくり見てもぴったり1時間で出てこれてしまった。いやでも普通か。

会場内も大きくスペース使ってたし、ファッション以外の企画展見るときだいたいこんな規模感な気がする。やっぱディオール展がおかしかった。

 

YSL展は、そもそも「サンローラン展」ではない。という前提に今さら気付いた。逆にディオール展は「クリスチャン・ディオール展」ではなかったしな。

ブランド・サンローランではなくクチュリエ・サンローランの話でまとめよう!スッキリ退任した本人のようにスッキリまとめよう!という作られ方なのは潔いけど、私みたいに勝手に誤解して勝手に物足りなく感じてる人もそれなりにいそう。

パンフやSNS広報はじめ、「サンローラン存命時代に限った話です」と強調していたのでそのへん中心なんやろなーとは分かった上で臨んだつもりだったが、全然分かってませんでした。

 

とはいえmoreの要求がないかと言うと全然ある。
せっかくならリヴゴーシュの話とか、アクセサリーに関する詳細とか、モンドリアンルックの詳細とか現在のクリエイティブディレクターたちとか、他にも言及してほしい箇所がたくさんあったんだが、スペースの都合なのかキュレーターの意向なのかかなりばっさりとカットされていた(今回、広報からムッシュYSLを強調されていたのは、そういう物理的な制約が大きかったのでは?と思いたくなるし)(あのこぢんまりしたYSL美術館が衣装協力してることを考えると、そもそも企画展、それも国外の、に自由に出品できるアーカイブ自体があんまり数ないのかもしれない)。

 

そういうメゾンにまつわるあらゆる情報を網羅した結果、ディオール展は3時間コースの大がかりなものになっていたし、すべてのブランド展で実現するわけじゃないのもわかるが……
にしてもキャプション少なくなかった………?

 

扱う内容のみならず空間設計もめちゃくちゃすっきりしてて、やはりディオール展と比べてしまい申し訳ないのだが、こっちに関しては逆に気が散らなくていいな〜と思った。もちろんサンローランの機能的なスタイルを守るためのデザインなのだろうが、服に集中するにはすごく快適。

 

〈好きだった服〉
2つめのセクションにあったマリンルックのミニワンピース、これが本当にかんわいいんだわ。

遠目に見るとビニール素材みたいにテカって見えたのが、近づくとスパンコールの光の反射たちだと気付きとても興奮した。ボディスは紅白ボーダーで覆われていて、ジャストウエストから下は紺のスカートに色分けされているので、一見ツーピースにもみえるワンピースになっててオモロい。素材と色の切り替えで2度おいしいワンピース。


同じ部屋にあったジャンプスーツとタキシードはシンプルに「これ着て働きてえー」だった。本当にかっこいい……素材も縫合も遊ばず、あくまでスタンダードなスタイリッシュな形に仕上げてるし、上から下まで黒、なのに重くないのはやはりシルエットがスマートだからなのか。あるいは単にそう思いたいだけかも。


どれか忘れたけど、黒のスーツ類でひとつだけ足元をシルバーの光沢あるミュールで飾ってるものがあって(他はすべて黒のパンプスだった)、それもすごく好きだった。

 

〈アクセサリー〉
今回の展示、基本的にトルソーではなく頭から手足の指先まで揃った「マネキン」が使われていたのが、マジで最高だった。

ただ服がありゃいいってわけではなく、グローブ、ピアス、靴ぜんぶ身につけてはじめて完成するんだよー というサンローラン本人のこだわりが汲まれていて最高でしたね。
という高尚な感想を言いたいところだが、純粋にアクセサリーとかタイツの合わせを見るのが楽しかっただけである。

 

〈2回目も行きました〉

もともと一緒に行こね〜と話していた人がいたので、日曜の15時くらいに行ってきた。テートの方が激混みなのにYSL展は待機列のたの字もなく、逆に心配になった。いや混むよりいいんだけど。

 

総評:ボリューミーなはずなのにめちゃくちゃコンパクトに感じる

 

結局私は見たいものを見て言いたいことを言っているだけなので、的外れもいいところかもしれないが、ファッションの企画展としてもファッションに限らない企画展としても、結構地味な印象だったなあというのが正直なところ。

とはいえつまらなかったわけではないし、パリの本家YSLミュージアムのこぢんまりした感じに寄せたと考えれば納得しないこともない。いやそれ言ったらムッシュサンローランの部屋再現してくれよ、とかさらに思うことはあるが……

つぎにそこそこ大規模な企画展を開くラグジュアリーはどこかな。ちょっと楽しみ。

Barbie(映画)

シャネル(のクリエイティブディレクター)が衣装提供しているから、というそれだけの理由で珍しく映画館まで足を運んだ。いろんな方面で飛び火炎上を余儀なくされているホットな作品だが、見に行って良かった。

 

オモロポイントは主に3つ。

 

①ピンク
言わずもがなバービーといえばピンク、なので観客の大半が何かしらピンクのアイテムを身につけて見に来ていてとても良かった。バービーの製品ロゴに近いビビッドなピンクから、柔らかめのパステルピンクまで、いろんなピンクを見られて楽しかったな〜。隣のおじさまはピンクの柄シャツに白のハーフパンツで来てたし、性別年齢問わずドレスコードもどきを楽しめるっていいね。

 

ところがどっこい、そのピンクがあまりにもヴィランの役目を背負わされていて(※個人の感覚です)なんか爽快な驚きを得た。勧善懲悪的な二元論を避ける映画だからこそ、悪のスパイスとしてあえてピンクを使ったのかなあ。
もちろん他にも皮肉たっぷりの表現はいろいろあったけど、おそらく何も知らない観客が「ピンクいっぱいのカワイイ映え画💗」を想定して見に来ているのを利用したれとは考えてたとは思う。多分。


そういうわけで、キラキラのナイフで我々を殴ってくる開幕パートのことを私は「ハリボテタイム」と勝手に名付けて呼んでいる。ピンクって何にでもなれる、の説得力たるや。ステレオタイプが染み付きすぎているカラーだからこそ裏切り甲斐はありそう。

 

②シャネル
もう一生「どれが御社のおようふくですか!!!!???」という気持ちで血眼になってファッションを観察していた。話半分すぎて何回か観客の笑いに置いて行かれたものです(ちゃんと見ろ)。

 

ハリボテタイムでバービーランドの住人たちが紹介されるのだが、このときピンクの国会で官僚バービーたちが色とりどりのツイードジャケットを着ていて、スクリーンに飛び出しそうになった。全部じゃないだろうけど多分バービーが着ているピンクのツーピースはシャネルだろ!!!!!と思ったらドンピシャだった。ソースはここ【https://www.elle.com/culture/movies-tv/a44653195/barbie-chanel-collaboration/】。シャネルというか正確にはアーティスティックディレクターのヴィルジニーヴィアールが監修した服、だけど。

 

その後も「シャネルかな?違うかな?既成のバービー人形の服かな??」みたいな絶妙なラインのお洋服がいくつも登場してとにかく目が足りなかった……。今作に登場した衣装ぜんぶコレクションブックにまとめるか衣装展やるかして欲しいんだけどどう?

 

ともかく、「ウォーリーをさがせ」的にシャネルのアイテムどこかな〜と探す楽しさがハリボテタイムの最もアツいところだったのだが………ラストの洗脳解こうぜパートでいきなりドカーンとダブルシーアイコンが出てきてしまってちょっと萎えた。面倒くさい女でごめん。でもハンドバッグとネックレス両方とも「そんなにデカくなくてよくね?」というクソデカダブルシーだったのが悪い意味で印象的で……しかも前半では匂わせるようなことしておいて、いきなりYouTubeのウザくてクソ音量デカい広告みたいに大主張してきてさあ、なんか、うん……

天気の子の協賛ゴリ押しっぷりにドン引きしたときとかなり近い、嫌な焼印がそこでぼーんと押されてしまった。ダブルシーそのものに罪はないしロゴの主張は時と場合によってはとっても良いスパイスになるのだろうが、今作で使うならパート逆じゃねえの?ハリボテタイムにそういうアイテム出しとく方がわかりやすく「ハリボテ」になるんじゃねえの?という気持ち。個人(しかも服飾門外漢野郎)の好みの問題すぎるので、シャネルにもバービーにも罪はないです。。。ただし「そこでそのアイテム出すかよ」 ショック以降、ストーリーが半分くらいしか入ってこなくて集中できなかったのはマジな話。

 

〜おまけ:上述のサイトで知ったこと〜
・主演のマーゴットロビーはシャネルの公式アンバサダーらしい。ズブズブで草。
でもシャネルが歓迎するシャネルユーザー像(見た目的な話)にはとてもハマってると思う。

・ケンの宇宙服もシャネル(正確には略)がデザイン協力しているらしい。
妙にエレガントでスマートな宇宙服だなとは思ったけどまさかほんとに関わってるとは笑


③音楽
ケン歌うまくね?と思ったらエンドロールで初めてライアンゴズリングが演じていたことを知る。道理でパフォーマンスがハマるわけだ。


前半のハリボテタイム(と呼びたくなるくらい露悪的な映像だったと思う)は「あれ?私ミュージカル見に来た?」と錯覚するほど、というかこっちが息継ぎする間もないほど歌劇の連続だったが、ミュージカル好きなので結構楽しかった。逆にあの手のミュージカルに冷めがちな人はちょっとつらいかも笑

 

dance the nightはデュアリパのMVだけ先に見ていたんだけど、あまりにもMVまんますぎて笑った。いや分かるけど。劇伴とはいえね、セットもコレオもそっくりそのまますぎて。

あとこれ、デュアリパの70~80s回帰っぽいサウンドが先な気がするけどどうなんだ笑それともバービーが爆発的に売れたとか販売が軌道に乗ったとかの時期と彼女の参照する音楽の時期がたまたま一致したのだろうか。ビルボtop30で解説ないかな〜

 

あとエンドロールでエイヴァマックスの名前が出ていたが、全然気付かなかった。好きなアーティストがいっぱい出ていて楽しい!!

 

〜おまけ〜
てか今アップルミュージック見たらフィフフィフがbarbie dreamsをカバー(?)してるんだけどww  cupidがアメリカでウケたのって言うてもオタクの誇張だろ笑笑 という感じで斜に構えていたんだけど、思ったより流行っているっぽい…??なんならビルボのランキングトップ30に居座るケーポドルとしてはかなり長い方らしいし…

 

その他
・娘役の子がゼンデイヤ似でかわいい。ああいう顔だいすき。

・前半のケンが本当に本当に心底キモすぎて、正直ケンが抜かれるたびに「やめて😣😣つらい😣😣気持ち悪い😣😣」と鳥肌立ちまくりだった。あのきもちわるさをバチボコ出せるライアンゴズリングこわいよ。つまるところ、男女にかかわらず執着を顕にする生き物は総じてキモい。これは自戒も込めて。

・なんだか知らんが英語圏の人間であろう外人がいっぱい見にきていた。ガチで6〜7割は外人だった。観客がウケるタイミングが絶妙にバラけてたのが文化のちがいを感じておもろかったなー。ちなみに一番笑い声がデカかったのは大統領バービーのmotherfucker発言。

・映画タイトルはバービーではなく「ケン」の方が齟齬がないかもね。女の自立の話ではなく、人間に依存してしまう人間の、自立のお話。

・大切なことはミームにならないね

ディオール展

1月中に書こうと思っていたらいつの間にか新年度を迎えていた。忙しさにかまけて先延ばしにしすぎ……

 

1月3日火曜日、美術館の営業開始日にディオール展へ行った。1週間後のチケットを取っておいたはずが、インスタやらツイッターやらで流れてくる写真を目にしていたら我慢できなくなり弾丸訪館してしまった。会館30分前に着いたのに長蛇の列ができておりびっくりした。

 

入場してからクレジットを見て出口をくぐるまで、丸3時間かかった。これ17時の枠で入ったら閉館までに絶対見終わらないじゃん笑。

全部見て最初に思ったことは「シャネルも周年祝いにこういう展示をやってくれ」ということ。そして美術的価値がオートクチュールに劣るのは承知の上で、プレタポルテにも展示の場があってほしいということ。見応えも空間体験も凄まじくボリューミーでそれはそれは楽しかったというわけである。

 

まず展示設計については死ぬほどメディアで目にしていたが、想像以上にめちゃくちゃのめちゃくちゃに凝っていて、例えば一番最初のニュールックの部屋ではクリアチェアが一緒に置かれていてその冷たさから当時の革新性を想起したり、植物モチーフのエリアではぱっと空間が明るくなって温度が上がるような彩度の高い絵画が背景に掛けてあったり、視覚情報と一緒に温度感が伝わってくる仕掛けが多かった。

ただキャプションが軒並み床配置なので首が攣った(屈めばいいんだけどね)のと、「著名人が着るディオール」の部屋ではナンバリング探すのが困難だった。キャプションの存在感を消したいのはよくわかるんだけどさすがにもう少し視認性よくならないもんかね……

あとはせっかく非日常性が保たれた展示空間なのに、地下へ降りるとき一旦外(都現美の建物剥き出しの空間)に出ないといけないのがもったいないなと。構造上諦めざるを得なかったのかもしれないが、一気に現実に引き戻されてしまって少し残念。ディズニーシーから舞浜行きのモノレールに乗ってたらセブンイレブンが見えっちゃったみたいな、そういう落胆があった。

 

そんな趣向を凝らした部屋たちの中でも、やっぱり白の部屋が一番印象的だった。淀みもくすみもない真っ白な壁と真っ白な服と真っ白な照明を360°から摂取して、白(黒)大好きな私にはあまりにも居心地が良かった。富豪だったら今すぐ自宅をリフォームしてあの空間を再現する。これが他の色で再現されたらかなり視認性悪いんだろうけど、白い服たちが白い空間に溶け込みながらもディテールを主張してくれていたので色の力を感じて止まない。

あとは序盤にディレクターごとの展示ゾーンがあったが、笑っちゃうくらい如実なカラーが顕れていて実際ニヤッとしてしまった。個人的な感覚で言うと、いわゆるアート的な鑑賞対象として面白いのはラフシモンズだし服として好みのものはほぼマリアキウリ。ざっと眺めたときに目を惹かれるのはディオールが手がけたものだった。あくまで個人の、大した根拠もない感想だけどもやはりメゾン創設の巨匠(?)ってすごいんだなとふと思ったり。

それから地下に降りて最初のブース(壁掛けファッション誌と香水のCM集展示)は何時間でもいられそうで頑張ってそそくさと出た。例えばMiss DiorのCMを見ていて思ったのは、1976あたりのCMで登場したパケが好きだったなあということ。瓶から吹き出た花弁が女性のドレスになる映像もかなり良かった。翻って1990〜2000年代になると急にモテ文脈CMしかなくなるのどない?別にいいけど、いや良くない、大事な初代フレグランスを「モテ香水」に収斂させてしまってええんすかね……。

似た理由でディオールオムのCMも惹きがなかった。わざわざ他者(こと異性)の視線を介在させる必要ないじゃん。逆にジャンバティスト=モンディーノのj'adoreのCMはとても好き。モデルが堂々と回廊を歩きながらアクセサリーもドレスも脱ぎ去るというシンプルな作品は鎧を脱いだことでかえって強くなるさまがアッパレだったし、カーテンらしき布束をたぐりよせて蜘蛛の糸よろしく建物の天蓋の穴へと登っていくのも良かった。布をたぐって登る過程でチョーカーやハイヒールを取り去り投げ捨ててるのがナレーションの「天国ではなく新しい世界」に説得力を持たせていたのも好印象。そんなわけで今めちゃくちゃj'adoreほしい。

 

ディオール展の総評に移りたいのだが、つい数か月前にシャネル展を訪れたこともあり、どうしてもそことの対比をしてしまう自分がいる。「ディオールとシャネルって女性に人気の老舗メゾン(悪く言えば若い女性が食いつく’’分かりやすいブランド品’’)」的な括られ方をされがちだ、と近年特に思う、けど(クリスチャンディオールとココシャネルが)それぞれ想定する女性像が見事に全然違っていてとにかく面白かったなとは心底感じる。ディオールは女性を美しい花に見立て、それを彩るブーケの装飾や花瓶として服を創っている節がある。他方シャネルは「自由でミニマルな(裸体に近い動きができる)身体表現」を軸としていたから、もうハナから見据えている方向が違うんだよな…… それが今や、まあ日本だけかもしれないが、「かわいいブランドバッグ〇選♡」みたいに雑すぎるラベリングをされ、似たようなモノとして拡散されているなんて知ったらディオールもシャネルもさぞ憤慨することでしょう。

 

ちなみに(優劣つけられるものでもないが)私個人の中ではシャネルが好きだなと改めて思った。私はブーケではなくて気ままに大胆に筋肉を動かす動物なんだぜ、勝手に飾り付けてため息ついてんじゃねえよ、という気持ちがあるからかな。これは「ニュールック」の存在を知ったときからそうなんだけど、ニュールックをまじまじと見てみてもやはり「これってプリンセスラインの焼き直しじゃね?」としか思わなかった。時代背景云々を鑑みてもイマイチその革新性が分からなかったんだけど(まあニュールックと名付けたのはディオールではなくファッション業界で記者やってる部外者だったんだが)、後で調べたらシャネルも「よりによって束縛の時代に回帰してんじゃねえ!!」とブチ切れていたらしい。最高すぎて笑っちゃうね。いくらなんでもあれを「革」「新」と結びつけるのは違くねえか?とずっと思っているし、彼女が憤慨するのも無理はない 当時のシャネルがさまざまな苦境に立たされていたこともあり、ディオールの華々しい成功を目の当たりして嫉妬と悔しさを感じていたのもあるだろうけど、私はそういうシャネルが好きです。

 

あとは今まで行った他のファッション展って展示物との距離感を感じたんだけど今回は誤って触ってしまいそうなくらい剥き出しの展示が多くて、野生の高級仕立て服という感じがして良かった。ああ今も生きてるんだ、と思いながら前横後ろからじろじろ見つめてしまった(ごめんね)。逆に普通の服飾展行ったら物足りなくなるかもしれない。

そういえばシャネル展はかなり厳重に展示と巡回スペースが区切られていたが、開催場所に所以するところも大きそう。腕利きのキュレーターがMOTのスペースをフル活用したらそりゃ敵わないなという印象。ちなみに同時開催のウェンデリン・ファン・オルデンボルフ展は対照的なまでにフラットな展示で、それはそれで楽しめた。

 

細かいことを気にせずにまとめると、「テーマパーク」としては満点でした。1回いや2~3回行ってみて損はないと思う。5月まで開催しているのでぜひいろんな人に訪れてみてほしい。

 

 

PC / 骨格 / 顔タイプ 診断

昨年12月24日、表参道のサロン Grace Avenue でPC診断と骨格診断を受けてきた。まず結果はそれぞれ

PC→1stスプリング、2ndサマー

骨格→ウェーブ

顔タイプ→フェミニン

というものだった。

 

PC診断

物心ついたときから母親に「あんたはパステルカラーが似合う」「くすんだ色は似合わない」と言われ続けて育ったので、おそらく春か夏なんじゃないかな~青み強い方が好きだからブルべ入っているといいな~と思っていた。予想通りと言えば予想通りだったが意外にも春が1stにきた。他のサロンで診断したら変わる可能性もあるけど。

ドレープを当てて違いをチェックするあれ(あれ)、動画や写真で他人がやってるのを見たことはあるもののそんなに変化あるんか?と半分疑っていたのだが、実際に自分で体験してみてよく分かった。秋冬合わせたときの顔のくすみ具合に驚きすぎてデカい声で「すご!!!!!!」って叫んだし(担当してくれた方にYoutuberみたいな反応ですね~!と返されて笑った)。

担当者いわく「青み色も青みが強すぎなければ似合う」「とにかく明度を大事にしたら顔が負けることはない」とのこと。

おすすめのアイシャドウを教えていただいた際に、パレットに入っている締め色は往々にして自分のPCから外れていると知る。なるほど締め色を持て余し続けているわけですね……

 

骨格診断

はじめにナチュラル/ ウェーブ/ ストレートそれぞれについての解説を聞かされ、診断前から自分はウェーブしかあてはまらないだろうことを悟る。案の定ウェーブだったうえに「これはどこで診断してもウェーブですね」とのお言葉を賜った。どうも、ウェーブ中のウェーブ!骨格ウェーブの標本人間です!泣……

骨格タイプごとに悩みがあるのは理解しているものの「現実突きつけられるの渋いなーあわよくばナチュラルmixだったりしないかなー」と期待してサロンに足を運んだ私、無念。泣いても笑ってもウェーブなのでおとなしくハイウエストボトムを履きます。

 

顔タイプ診断

実は顔タイプ診断は予約したメニューには含まれていなかった。話が結構盛り上がったのと、サービス精神旺盛な担当者のご厚意につきこちらも診断していただけることに。ゴリゴリ子供顔(キュートとか)を予想していたらフェミニンだったのでこれまた意外。

帰りにフェミニン顔の芸能人を調べてみたところ、TWICEの湊崎紗夏様が出てきて納得した。自惚れているとかではないのだが、sixteen~デビューしたての頃のサナは結構顔のパーツや配置が自分のそれと似ている節があるので。

 

総評

結局フェミニン×ウェーブすなわちド曲線造形人間、さらに明度の高いパステル系が得意という「THE・美人百科」女であることが判明してしまったわけだが、もちろんなりたい方向性に近づくためのアドバイスもいただけた。曲線+直線(特に上半身曲線+下半身直線)のシルエットを意識して服を選ぶとか、直線シルエットで固めるなら高明度の彩色を選ぶとか、背伸びしすぎずガキくさくもならない方法があるらしい。似合うものとかけ離れた要素だけで飾ってしまうとませた小学生みたいになってしまうので、色やボトムス/トップスに特異な要素を取り入れることでそれなりに様になるとのこと。ははーんなるほど……?

PCや骨格を神格化したり、逆にそこに頼ることを悪とみなしたり、容姿にまつわる診断には両極端な意見の方が目立って見える(こと最近においては)。そうではなくて、「自分のファッションの可能性を広げる」「迷った時の羅針盤として引き出しに置いておく」感覚でいればほどよい距離感を保てるんじゃなかろうか。少なくとも私にとって類型診断はバイブルじゃなくてドラえもんの秘密道具のイメージ。

余談だが赤似合いますね、と褒めていただいてまんまと赤いニットが欲しくなっている。この日診断を受けなければfarfetchで赤い服を漁ることもなかっただろうし、凝り固まった装いへのこだわりをほぐしてもらえて良い体験になった。特にここ数年の私はモノトーン信者になっていたので(別に修正すべきものでもないが)この先何十年も生きるのだからいろんな色彩に手を出してみるのも悪くない、かもしれない。

 

シャネル展

結構前だけどシャネル展に行った。

服飾や美容を専門的に学んだわけでもないし、いつからなぜと言われると明瞭には答えられないんだけどなんとなくシャネルが好きで、それはココシャネルが好きなのかシャネルの商品が好きなのか、あるいはシャネルというブランド力が好きなのか、やっぱり曖昧でよくわからない。が自分が執着するひっかかりの一つがほどけた気がする。

 

展示の中で一番印象的だったのが、「まずは理想のデザインを描く。その次に削ぎ落とす。ここで何かを付け加えることはしない」というキャプション(うろ覚え)。私はミニマルなデザインが好きだし、服飾にかぎらず様々な面で過剰な物質を削りたがる節がある。最も卑近な例で言えば断捨離好きだし。そういうミニマリストに近い「削ぎ落とし」の観念を、シャネルのアイテムに見出しているんだと思う。N°5のパッケージ然り、シャネルが黒を多用したこと然り、「最小限に削ぎ落として奇異なアイデンティティを形成する」ことに猛烈に惹かれるんだろうなー(だからこそコムドットとCHANCEの組み合わせは本当に受け入れられなかった、あれはたしかELLEも関わったしシャネルという大山のほんの一角が決めたことでしかないんだろうけど本当に2022年トップオブがっかり事件でした)。

 

アクセサリーの展示はあまり引きがなかったんだけど、パールのコスチュームジュエリーはとても素敵だった。シャネルはジュエリー制作において多く『太陽、星、十字架、植物』をモチーフとしたそうだがパールを「太陽」として用いていたのが印象的。展示されていたパールのジュエリーがたまたま私が好むシルバー系だったから覚えているだけ説もある。私の興味が過剰に服と香水だけに向いていてそもそもアクセサリー自体にそこまで関心がなかったから記憶が薄いんだろうけど、加えてシャネルの製品の中で唯一ジュエリーは「削ぎ落とさない」設計だった点でも好みの方向と違って盛り上がらなかったのかな?

 

あとは写真撮影スポットがしっかりゾーニングされてたのがありがたかった。最後の展示の後に個別の部屋として用意されてると順路を妨げないの完璧すぎる。映え目的が悪とは思わないけど撮影スポットって絶対滞留を生むし煩わしいので、写真撮りたい派と興味ない派が上手いこと共存できる設計いいなーと思った(蘇るイサムノグチ展…)。キュレーターありがとう

 

退場してアーティゾン美術館に向かうまでずっと考えていたこと↓

①過剰に過大に盛ることが普通だった当時のフランス(西欧)女性ファッションに、ああしたミニマルなデザインをもたらしたこと
②上述のデザインが現代の服飾の基礎となっていること
③2022年の女性から見ても圧倒的に魅力的で購買欲(着用欲)を掻き立てられるデザインであること

この3点が揃っている点でやはりシャネルは私にとって特別なブランドなのだなあと。特に①、シャネル本人は「女」であることを理解していたし生きるために利用もしたけど、ガチガチに固められた女性像に従順になるのではなくて、男女以前に「私」個人が快適でありたいからそのためなら型を破壊して再構築するっていうのがすごく良いんだよね。


デザイナーは違えど、近年のルックを見ていても最も心躍るのはシャネルだし(ガブリエルシャネルの死後すべてのルックを見たわけではないが…)、他のブランドにここまでの執着を抱かないというだけでもやっぱり特別なのかな。より軽くより柔らかく、既存のあらゆる基盤から解放されるため、最後のコレクションまでデザインし続けたココシャネルに勝手に自分を重ねたがっている節もあるかもしれない。
シャネル展に行って分かったのはシャネルというブランドやココシャネルのポリシーというより、シャネルと自分の距離感、シャネルに対する眼差し方だった。行ってよかった。

 

そういえばシャネル展で初めて図録買った。ほぼ衝動買い。図録とはいえインテリアブックに近いかも。展示内容をそこまで網羅してる訳ではないし、私みたいなファッション無知素人にもやさしめな解説だったので。まあそこは承知で買ったから良いんだけど、ショーケース越しでも生の製品(作品)を見るのと印刷された写真として見るのじゃえらい違いだなあと。何がどう違うのか上手いこと言語化できないが、アウラの凋落ってこういうことか〜を文学学術院生4年目にして初体験しました。ちなみにその後高知旅行でも同じ感覚に遭遇したので、そもそも凋落するだけのアウラがオリジナルに宿るのかどうかは鑑賞する人間の興味の強さ次第な感じもするな…

結婚観

わかんないマジでわかんない!!!!!

結婚による幸せ/リスクと独身主義を貫くことによるプラス/マイナスを天秤にかけてもどっちの幸福度が高いのかわからない、でも自分が結婚と出産を疎がる理由を追求するとやっぱりそっちを選ぶのは怖い。人生誰にも正解なんてわかんないし、どんな選択をしても100%良いことしかないなんてありえないし、この世はグレーゾーンでできてるのも理解してるけどやっぱりわからない。でも今日聞いた結婚により得られるもの独身により失う(可能性がある)ものの話はわりと衝撃的だった、結婚にマイナスイメージしかなかったから…そういう選択する人の気持ちもちょっとだけ理解?共感?できた でもわからん わからーーーん!!(映画のコナン?)

 

↓思考の整理

結婚

・そもそも結婚したいか?

→今のところしたくない(変わる可能性はあり)相手が誰であろうと結婚そのものに抵抗がある

・男性と付き合うこと自体はしたい/してもいい、恋人いると楽しい

・なんで結婚したくない?

①自分の責任(お金、健康、個人的な趣味など)を他人に負わせたり、他人(子ども含む)の責任を一緒に負うのが嫌。徹底的にリスク回避したい

=些細な衝突や思想の食い違い、それによるネガティブな感情を起こしたくない(生活してる中での習慣の違い、親同士の関わりや相手の親からのジャッジetc...その他諸々が面倒なので、その可能性ごと回避したい!)

②結婚すると今度は出産を急かされる(ほぼ確実に)のが嫌

③性別のせいで対等な関係が崩れる(後述の出産に伴う休職や退職の可能性もデカい)のが嫌。苗字も変えたくないし。

 

出産

・今のところしたくない(変わる可能性はあり)

①責任を負う相手が増えるのが嫌。自分のことで精一杯なのに子どもの教育や将来など気を揉む材料が増えるのが嫌

②キャリアが途切れる可能性がある

③女性であるというだけで家事育児の負担が重くなるのが嫌(所謂母親役ではなく、亭主関白的な「父親」役をやりたい、外で稼いでくるから家庭のことはよろしくね〜みたいな)

④体型や体調にめちゃくちゃ影響出るのが嫌。無痛分娩とか帝王切開だって決して楽ではないし、出産太りしたら出産前の状態まで痩せるのはすごく過酷

 

でも社会に出て価値観が変わるかもだし、周りが結婚・出産していくとその人たちは家庭を優先するようになるから、学生時代より人付き合いの密度は薄まりそうだし、今後何十年も働く・食う・寝るを死ぬまで一人で繰り返すって自由だけど必ず孤独と寂しさに苛まれる瞬間が来るだろうし、結局どっちにもメリットデメリットがありすぎてわかりません はあ 10/23