貝塚

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リトルグリーンメンのグミ

税込102円くらいだったと思う。AENAで大量に積み上げられたリトルグリーンメンのグミ(リトルグリーンメンのフィギュアを再現した、グミのお菓子)を見て、すこし悩んだ挙句レジに持って行った。

 

この手のビジュアルで訴求するグミは、地球グミを筆頭に、一時期話題になった(よね?)。そして一瞬で鎮火した。

リトルグリーンメンのグミが大量の売れ残りとして捌かれていたのは、単にリリースの旬を逃してしまったからだろう、と思っていた。

でも、どこに行っても地球グミを見かけたあのころ、同じ売り場にもしリトルグリーンメンのグミがおいてあったら……どうだろう。

ふと目に入って、ふーんおもしろいね、とちょっと視線が持っていかれるかもしれない。でも値段を見て、それが税込250円だったとしたら、いや180円だったとしても、多分買わない。残念ながら商品単体にそこまでの価値を感じられないから。

私が「金を払ってもいい」という気分になったのも、それがたまたま100円前後の値段だったからに過ぎない。100円でほんの少しのおもしろさが手に入るならいいじゃないか。150円は出せないけど、100円なら出してやってもいい。

リトルグリーンメンのグミは、売れ残って価格が下がったことで価値が上がり、ようやく需要にめぐまれたのだった。AENAのようなディスカウントショップにおいては特に、需要の権力がモノを言うから、たかがいち消費者のくせにえらそうに語りたくなる。

 

私の作るコピーもだいたいこんな感じだろう。

 

コピーは、グミの価格や味、食感、原材料そのものを変えることはできない。そのグミによってどんな楽しい体験ができるのか、地球グミとはなにが違うのか、どんな人ならとくに楽しめるのか、それを嘘のない範囲で広告しなければならない。

でも今の私が生み出すコピーには、広告する力がまるでない。いちど手に取ったとしても、「でもこの値段じゃあね」と陳列棚に戻されるのが関の山だ。売れ残りのグミというのはそのまんま、私にコピーを与えられた求人である。

人目を惹けなかった、あるいは世に出してすらもらえなかった言葉たちを思うと、悲しくなってきた。

 

いま、リトルグリーンメンのグミにブランドコピーをつけるとしたら?

実際口に入れたときの味や食感については、あんまり覚えていない。でもグミを友人に渡して、そこから数分間の雑談が始まったことは覚えている。

普段私から話しかけることはほとんどないけれど、知り合って半年の間に、とても話しやすくて居心地のよい相手だと理解するようになった、そういう友人だ。彼女はピクサー作品が好きで、おすそ分けすると案の定喜んでくれた。

 

思えばこのグミを店頭で見かけたときも、彼女の顔が浮かんだものだ。そして手に取った時点で、私は彼女にこのグミを渡す気満々だった。

このグミは私に、友人とほんの少しの距離を縮める一歩を提供してくれたわけである。

すなわちリトルグリーンメンのグミには、小さいけれど踏み出しやすい、コミュニケーションのきっかけを作るという価値があったのだ。

 

ではターゲットはどうなるか。「〈ディズニー作品にそれなりに興味があるあの子〉に近づきたい人」が適当なはず。

〈あの子〉の興味の対象が、ディズニーではなくポケモンやサンリオだったら、ちょっとターゲットが狭すぎるかもしれない。しかしディズニーに限っては、そのブランド力が強く広すぎるので、ここまで絞っても〈あの子〉のキャラクタライズは案外いくつも浮かぶものである。

このターゲットに伝えたいことは、「話題づくりができるグミ」だということ。コンセプトは「ねえねえ、のつぎはグミ」とかだろうか。

これに沿って、30字以内でコピーをいくつか考えた。

 

なれそめは、エイリアンのグミでした。
会話のキッカケ、9個入り
あの子にあげたい。

 

商品パッケージとトンマナが合わない気もするが、そこは画の作り方次第でどうとでもなる気がする(そのためにビジュアルメディアによる訴求があるのだし)。

たとえば真っ白なバックにパッケージとグミだけを並べて、白いライトで明るく照らしてあげて、シンプルなスチル写真を撮影したら、上記のコピーが馴染むポスターに仕上がりそうじゃないか。

あるいはふたりの手と手がグミを受け渡すシーンを、真横や真上から撮影してもいい。

 

やっぱりこういう、お菓子とか身近な商品のコピーを考えると、楽しいし悔しい。本音では近所で見聞きするモノのブランドコピーを手掛けたい。でも同時に、社会人になって最初に携わった仕事が求人広告の作成でよかった、とも思う。

求人広告原稿というのは一般的に、セールスコピーのイメージが強いから、がんばってブランドコピーを考えてもそもそも営業側から却下され、世に出ないことがままある(それもサイレントで)。

さらに原稿作成専門部署であるわれわれにまわってくるのは、待遇が良くなかったり仕事が全く世に知られていなかったり誰もやりたがらないような内容だったり……という、それこそ「売れ残り」の仕事なのだ。

だからこそ考え甲斐はあるが、やっぱり「嫌われていない商品」のコピーを書きたいな、と思うことは多い。

 

とはいえ文字数制限やユーザビリティをふまえるといった、厳しい条件で広告設計の練習を積んだら、それこそ人気の出そうな商品を手掛けたときには、迷いなくいくつものコピーを提案できるだろうと思う。

早くそういう存在になりたいし、やっぱり言葉を売って生きていきたい。これだから仕事が楽しいんだろう。